日语动词在连体节中的时态·体

2016-05-14 07:20刘玲
读与写·教育教学版 2016年9期
关键词:时态

刘玲

摘 要:对于以汉语为母语的日语学习者来说,日语动词的时态和体很难掌握。尤其当句子中出现连体节时,更是容易出错。笔者作为一个站在日语教育事业第一线的人,时常困惑于不知该如何去指导学生理解和运用连体节中谓语的使用方法,如何将复杂的问题简单化条理化地讲授出来。所以本文旨在探索一个合理的方案,把连体节动词的时态·体所能表达的含义体系化,并能循序渐进地在课堂上得以传授。

关键词:日语动词 时态 体 主节 连体节

中图分类号:H316 文献标识码:A 文章编号:1672-1578(2016)09-0008-03

1 问题点

目前大学日语教材和语法工具书中几乎没有针对动词的时态与体作系统的说明,即使有也是很浅显的,不足以覆盖与此相关的全部的日语现象。学习者只能靠自己慢慢积累培养语感,为此在学习的过程中常常感觉困惑。产生这个问题的原因恐怕要归咎于日语本身的不定性,很难有一种方法能把所有的对象分门别类。

1.1 在动词的分类方面

比如“花が散っている”,如果是看到满地凋谢的落花后说的,则把“散っている”理解为结果的存续,归类为瞬间动词或结果动词。如果是正在看花纷纷往下凋落时说的,则把“散っている”理解为动作的进行,归类为继续动词。再比如“祖父は腰が曲がっている”中,可以把“曲がる”归为变化动词。“道が海の方に曲がっている”中,可以把“曲がる”归为第四种维持动词。“あの子は根性が曲がっている”可以把“曲がる”归为第四种形容词性动词。语境语义的不同导致一个动词拥有不止一种类别。

1.2 在动词的时态方面

比如找到不见的钥匙时说“あった”,这时不是过去时,而是表达内心的期待实现的语感。让人等一下时说“ちょっと待った”,也不是过去时而是表达迫切的要求。建议别人休息一下时说“少し休んだ方がいい”,这时表示对所判断内容的假想。另外在日语篇章段落中存在现在时和过去时交叉使用的现象,这只能用表达技巧来解释了。

1.3 在动词的体方面

首先使用的概念术语就不统一,随意翻看相关的论著便有“继续相”“反复继续相”“进行相”“反复进行相”“将然相”“将现相”“始动相”“完结相”“完了相”“未完了相”“完成相”“终结相”“结果相”“既然相”“既现相”“结果状态相”“单纯状态相”“反复习惯相”“经验相”等等。它们往往指代重复却又不尽相同,令阅读者感觉混乱。其次动词的体受多方面因素的影响。如:

(1)彼は去年大学を卒業した。

(2)彼はもう大学を卒業した。

因为副词的不同,(1)的“卒業した”表示过去时。(2)的“卒業した”表示完成相。

(3)太郎が死に出した。

(4)次々と人が死に出した。

“死ぬ”是瞬间动词,不具备持续性,没有始动相,所以(3)属于非文。但若像(4)主语为复数时,句子则成立。

1.4 在基准时的选择上

因叙述同一件事情时不同的人有不同的表达形式,所以作为日语学习者来说就更加难以准确地使用了。

(5)当時、アメリカに行くとき、長時間飛行機に揺られた。

(6)当時、アメリカに行ったとき、長時間飛行機に揺られた。

(7)街灯が消えたとき、お知らせください。

(8)街灯が消えているとき、お知らせください。

如果用中文表达的话(5)(6)都翻译成“去美国的时候”,(7)(8)都翻译成“当路灯熄灭的时候”。所以当汉语母语者把这两句话翻译成日语时,就会拿捏不定,不知哪句合适,或者以为只有其中一句是对的而另一句是错误的。

2 分析

本文按顺序分类别摘选了《日语精读》第一册(宿久高 周异夫主编)课文和课后解说中出现的有关连体节动词的例句。具体分析如下:

(9)太極拳をする人もラジオ体操をする人もいます。(日语精读第一册P101)

(10)授業の始まるベルが鳴っています。(P151)

(11)日本人は忘年会というパーティーをして、年末を楽しむ習慣があります。(P157)

(12)敬語は尊敬を表す言葉で、早く身につけなければならないと王さんは思っています。(P179)

“太極拳をする”和“ラジオ体操をする”是“人”的属性。“授業の始まる”中的“の”替换的是“が”,“授業が始まる”为“ベル”的属性修饰语。“年末を楽しむ”是“習慣”的属性。“尊敬を表す”是“言葉”的属性。这些动词的用法中畠孝幸(1995)定义为“純粋な装定(单纯的修饰语)”,没有时态·体的性质。

(13)美術館に入る前に、切符を買ってパンフレットをもらいました。(P123)

(14)楊さんたちが店を出る時、店の人たちは「ありがとうございました。またどうぞ」と大きな声で言いました。(P168)

(15)日本に来る時、友達が空港まで送ってくれました。 (P207)

(13)“入る”发生在主节时以后说话时以前,以主节时为基准点。相对“もらった”的时间点而言,“入る”是未来发生的事情,用ル形。(14)“出る”发生在主节时之后说话时之前,以主节时为基准,为相对时态的将来时。(15)“来る”指以“送ってくれた”为基准的将来,所以也是相对时态。这与丹羽哲也(1997)的结论一致。

由于“前”这个词本身是之前的意思,所以做某事之前的某事都用将来时,也就是动词的ル形。

(16)日中辞典と旅行のガイドブックを買いに、私は東京駅の近くにある大きな本屋に行きました。(P135)

“ある”是状态动词,没有动作性。据句意来判断这个书店在主句时之前就存在,还将一直存在到发话时以后的未来,因此要用绝对时态的一般现在时。

(17)入場券を買う人は列に並んでいます。(P140)

“買う”是继“並ぶ”之后的动作,“買う”的实现意味着 “並ぶ”的结束。既可以理解为将来时,也可以理解为未完了。

(18)きのうした宿題をきょう提出しました。(P140)

(19)二人が席に着いた時、店の人はメニューを見せて、「何になさいますか」と尋ねました。(P167)

(20)日本に来た時、友達が空港まで迎えに来てくれました。(P207)

(18)“した”发生在主节时以前,既能理解为以主节时为基准的相对时态,也可以理解为以说话时为基准的绝对时态。

(19)连体节修饰的名词是“時”,有的研究者会把“トキ连体节”单独抽取出来作为一个研究课题。日语精读第一册也出现了很多トキ连体节。“着く”和“尋ねる”为前后继起的动作,“着いた”的时态解释为以主节时为基准的相对时态更便于理解。(20)“迎えに来てくれた”是在“来る”这个动作完成之后发生的,所以用“来た”。

(21)あそこで話をしている人は鈴木さんです。(P140)

“話をしている”为说话时正在进行的动作,所以“している”表示绝对时态的正在进行时。

(22)佐藤さんの家族は佐藤さん夫婦と高校に行っている太郎さんの3人です。(P145)

“行く”的动词分类按照金田一(1950)划分为瞬间动词,按照藤井正(1966)划分为结果动词,按照工藤真由美(1995)划分为变化动词。所以“行っている”不具备时态性,只有体的性质。表示动作完成后结果的存续。但是它和“鈴木さんはアメリカに行っているから、家にいるはずがない”中的“行っている”的意思不同。“アメリカに行っている”是说去了美国之后待在美国没有回来。而“高校に行っている”并非去了高中学校没有回家,而是指上高中,期间反复去学校,相当于“通っている”的意思。

(23)うちの前の道を左へまっすぐ行って、2番目の角を左へ曲がったところですよ。「Sマート」というスーパーですが。(P145)

(24)日本の習慣では、注文した料理を全部食べなければなりませんか。(P168)

(25)その時私は、すばらしい写真はカメラマンが感動して撮ったものだと分かりました。(P210)

(26)みんな靴をはいたまま部屋に入ったり、使ったものをもとのところに戻さず、そのまま勝手に置いたりするので、たちまちまためちゃくちゃになってしまいます。 (P261)

(27)雪がたくさん積もった朝、ふるさとの人々はみんな早く起きて、真っ白な雪の中に小さい道を作っていきます。 (P273)

(23)“曲がる”的动词分类非常灵活多变,在问题点里已有所涉及。有变化动词、第四种维持动词、第四种形容词性动作等分类。但在(23)中,它不属于上述分类的任何一类,因为它具备了动作性,是“转弯”的意思。根据句意,超市位于转过第二个路口之后的地方,“曲がった”非过去时,表示完了相。(24)句意是询问一般的习惯,所以“注文した”不是过去时而是完成相。(25)“すばらしい写真はカメラマンが感動して撮ったものだ”是引用句,可以独立出来分析。“写真”是“撮る”这个动作做完之后的产物,所以“撮った”与时间无关,属于体的范畴。(26)“戻す”的前提是“使った”。<27>“作っていきます”为经常性、反复性的行为,教材里称之为一般现在时。有学者认为其是超时态,即过去、现在、未来都发生,所以与说话时无关了。按照常理“積もる”应在“作る”之前发生,“積もる”的动作完成以后,才进行“作る”的动作,所以“積もった”为完成相。

(28)母の作った料理がおいしいです。(P151)

“作った”为过去时。主句“おいしいです”为现在时,意为说话的现在做出的判断。

(29)ここは、私が住んでいる町の水源地です。(P189)

“住む”的分类很暧昧。具有动作性但不强,非结果动词,所以“住んでいる”不能表示结果的存续。但要说表示动作的进行也很牵强。有的地方称之为存在动词。若要表示现在的状态,只能用“住んでいる”的形式。

(30)湖を囲んでいる森の所々に、建物の屋根が見えます。(P189)

(31)「この真っ赤な紅葉、きれいに澄んでいる湖、青い空、そして山頂に雪を被っている富士山を背景に、記念写真を撮りましょう」と私は松本さんたちを誘いました。(P209)

(32)坂本さんは何か困ったことがある場合、よく藤本さんに相談します。(P293)

“囲む”属于第四种动词,出现在句末时一般用“囲んでいる”的形式。作修饰语时有“囲んでいる”和“囲んだ”两种形式。还可以下位分类为第四种维持动词。“澄む”“困る”也为第四种动词,不具有动作性。修饰名词时有“澄んでいる∕困っている”“澄んだ∕困った”两种形式,相当于形容词的用法,故又称形容词性动词。“被る”为瞬间动词,也叫变化动词,“被っている”表示结果的存续。

(33)掃除をしている時、陳さんは宋さんにガラスの置物を壊されてしまいました。(P261)

“掃除をする”与“壊される”发生在同一时间带,因为都发生在过去,所以理论上应用“掃除をしていた”。这样的话,“掃除をしていた”“壊された”都是绝对时态,为对过去的回想。如果把视点移到“壊された”的当时,“掃除をしている”便具备了临场感,成为以主节时为基准正在进行。所以“掃除をしている”是相对时态。

(34)数年前横浜にいた時、松本さんが「一緒に秋の箱根へ行ってみませんか」と私を誘いました。(P209)

“いた”与“誘った”发生在同一时间带,为了突出同时性,“いた”可以替换成“いる”。但是前面有“数年前”这个副词,所以用过去时比较自然。用“いた”还隐含着现在已经不在横滨了这层意思。日本语句型辞典里针对这一现象解释说有说话人回想过去的含义和“现在已经不同于过去的状态”的含义。

(35)まだ公園に入らないうちに、人々が花見を楽しんで騒いでいるのが聞こえてきました。(P251)

“騒いでいる”表示动作的正在进行,与“聞こえた”同时间段发生。

(36)「部屋の中にとじこもってばかりいないで、外へ遊びに行きなさいよ」と親はテレビばかり見ている子供たちによく言います。(P273)

“見ている”以“言う”为基准时,属相对时态。

(37)李さんが日本にいる間に見たこと、聞いたこと、感じたことをもとにして書いたらどうですか。(P281)

按照课文设定的场景,小李在日本,所以“いる”为绝对时态。“見た”“聞いた”“感じた”如果以说话时为基准,则为绝对时态。也可以理解为以“書く”为基准,则为相对时态。

(38)困っていたことが簡単に解決できて、あまりにも嬉しかった坂本さんは思わず立ち上がって藤本さんにお辞儀をしました。 (P294)

(32)的“困った”不具备时态性,无论是“困った”还是“困っている”都是一种形容词性的修饰。但(38)的“困っていた”具备了时态性,因为是在主节时以前一直持续的状态,所以可以理解为相对时态。

3 结语

综上所述,加上参考前人的先行研究,为了让学习者对连体节动词有全面的认识,把日语动词在连体节中的表现总结如下图所示。

上图中“界限达成性”的概念源自工藤真由美(1989a、b,1992)。“界限”是指动作或变化从未发生到开始,或从进行中到结束的转折点。故还可以下位分类为“开始界限”和“结束界限”。“界限未达成”是指动作或变化尚未开始,又或正处在动作或变化的过程中。“界限达成”指的是变化结果的达成或动作开始界限的达成。

时态和体都是时间概念,所以不能单一地看待它们,特别是在连体节中更是不能片面地理解,可以有多种解释方法。

连体节中选择动词采取何种形式还有很多其他的制约因素,相关话题留待今后研究。

参考文献:

[1] 工藤真由美.現代日本語のパーフェクトをめぐって[J].言語学研究会編1989に所収,1989a.

[2] 工藤真由美.現代日本語の従属文のテンスとアスペクト[J].横浜国立大学人文紀要,第二類 語学 文学,1989b 36.

[3] 工藤真由美.現代日本語の時間の従属複文[J].横浜国立大学人文紀要 第二類 語学 文学,199239.

[4] 朴恵蘭.日本語の従属節のテンス·アスペクトの指導について:『とき』節を中心に[J].北海道大学教育学部紀要=THE ANNUAL REPORTS ON EDUCATIONAL SCIENCE,1994.

[5] 盛文渊.日语名词修饰句中时态表现的习得研究[M].南开大学出版社,2013.

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